November 15, 2005

お元気で!本田美奈子.

気持ちも多少落ち着いたところで、断片的な思い出の整理をしようと思います。「さん」をつけようかと思いましたが、最大の親愛と敬意を表して「本田美奈子」と書きます。

mh_07

1.はじまり。
本田美奈子という同い年のアイドルを最初にみつけた場所、レコード屋さん。高校3年の秋、恐らく武蔵小山のレコード屋だったんじゃないかと思います。

本田美奈子はその年の5月に僕の知らない間にデビューしていて、ボクは3枚目のシングル「Temptation(誘惑)」でようやくその存在に気づいた訳です。

mh_08

「Temptation(誘惑)」、ジャケットの本田美奈子の天使のような笑顔、爽やかで明るく本当にいい写真でした。1年後の自分の人生さえ不透明な受験生。不安で多感な18才の少年がとめどもない「癒し」を求めて衝動買いしたレコードです。


2.「Temptation(誘惑)」。
「おニャンコクラブ」全盛の年。その他、当時のアイドルといえば南野陽子、西村知美、岡田有紀子...いや、嫌いじゃ無かったですよ、でも歌が上手なアイドル歌手なんてまず居ませんでしたから。ぶったまげましたよ、「Temptation(誘惑)」。

mh_temptation

作詩:松本隆、作曲:筒美京平、最強のタッグを組んで作られていますが、曲自体は子供でも楽に歌える難易度の低い、典型的なアイドルソングです。イチローにビニールバット持たせるようなもんですね。

しかし本田美奈子の本田美奈子たるゆえんは、そのビニールバットで大真面目にヒットを狙うところです。歌謡曲の賞レースなんて事務所やレコード会社の思惑や力関係があるんでしょうけど、それ抜きにしても本田美奈子の数々の受賞は誰もが納得できるものだったはずです。


3.ファン。
「本田美奈子のファンだよ」と言う人、案外周りには居なかった。やっぱり「おニャンコ」全盛の時代ですから。「素人っぽいアイドル」を好きでいる事が当時の中高生のトレンドでしたから。親にも「お前、こうゆうタイプが好きなの?」ってな感じで。

mh_09

4.「M’シンドローム」。
待望のファーストアルバムです。中身はアイドルソングのオンパレードですけどね、でもやっと彼女にふさわしい曲が登場してきます。やっぱりバラードだと思うんですよ、彼女の歌声が生きるのは。好きなのはB面2曲目の「CHARLIE(作詞:秋元康、作曲:高橋研)」。

mh_m-dash

ファンの間で根強い人気があったのはA面5曲目の「Hard to say I Love You(作詞:秋元康、作曲:筒美京平)」、これも悪くないです。この曲を聴き込んだ時期は受験勉強も残すところ数ヶ月の時期です。浪人する事が明らかになりつつある時期だったから、一番辛い時期ですよ。

心境としては「勇気づけられた」と言うよりは「癒された」感じです。

当時は早大生の家庭教師の家に週1回通ってたんですね、学校帰り。代々木のマンションだったんですけど、早く着いちゃうと10階建てぐらいのマンションの屋上に上がって夜景を見ながらウォークマンで「M’シンドローム」を聴くわけですよ。目の前に広がる新宿ビル街の夜景...まだ都庁が無い時代すよ。


5.ラジオやコンサートなど。
ファンと言いながらコンサートには川崎に1回しか行ったことがありません、何気に。一応、受験生だったので、いや、これは言い訳だな...時間は作るものだ。その時のコンサート、コッソリ録音しちゃいました。

再生専用ウォークマンしか持ってなかったので、友人の録再ウォークマンとステレオマイクを借りて(N.K君、ありがとう)。カセットテープ、Sonyの当時一番高いやつを買いましたよ。カッシリした重いボディーのカセットテープでしたよ。

ラジオは欠かさず聞いていましたね、唯一プライベートな一面を垣間見れる貴重なひと時。今の中高生って聞くのかな、ラジオ。夜中、布団の中で丸くなりながら聞くラジオ、インターネットじゃ味わえない独特な雰囲気です。ラジオって「ながら」も出来るし、音だけとはいえ偉大な発明です。


6.背伸び。
一生懸命背伸びしてましたね、アイドル時代の本田美奈子。とにかく彼女はマドンナに心酔していました、ラジオとか聞いてても。歌い方、服装、アクセサリ、何から何まで。キュートで美人だと思いますけど、色気に限って言えばゼロでしたからね、ゼロ。

mh_11

マドンナめざすのは到底不可能ですよ。こんなこと冷静に考えられるオレって、やっぱファン失格かなぁ、とか思ってましたけど。無いものは無いですからね、色気だけは全然。

事務所もそのアンマッチを気にしてたと思うんですが、「1986年のマリリン」あたりの大ブレイクでファンの支持もあったし、好きにさせたのでしょう。全般的には良い曲になかなか恵まれないままアイドル生活を過ごしたという感じですね。

mh_12

不安でしたよ、あの才能が大きくはじけない内に芸能界からすーっと消えていくんじゃないかと。なんせ同世代のアイドルが映画にドラマに忙しい中、殆ど無かったですからね、歌とラジオ以外の仕事は確か。


7.アイドル卒業。
1年の浪人生活を経てボクは大学生に。聞く音楽も稲垣潤一、プリプリ、サザン...しばらくするとユーロビートへ。本田美奈子の芸能活動はチェックしてましたが、気づくと影ながら活躍を暖かく見守るサポーターに転身してました。

mh_04

そろそろ本田美奈子もアイドルとして伸び悩みはじめていましたね。


8.ミス・サイゴン。
本田美奈子にとっての一大転換期ですね。ボクが大学を卒業して就職したころ、今のカミさんと独身時代に観にいきました。ボクの誕生日プレゼントとして、カミさんが買ってくれたチケット、夏ごろですよ。勿論、キム役が本田美奈子の時です。

嬉しかったなー。やっと居場所を見つけた感じですね、本田美奈子。

mh_10

その後、会社の海外研修でロンドンに滞在していた時も本場で「ミス・サイゴン」観ました。キム役に限って言えば、本田美奈子に軍配ですよ。ファン心理も働いたかも知れませんが。

同じくロンドンでハマッタ「レ・ミゼラブル」、CD聞き込んで英語の歌詞は殆ど暗唱しました。しかし本田美奈子のエポニーヌ役、ついに観れませんでした。残念ながら日本版を観に行った時のキム役はたまたま交代してましたので。

彼女が「ミス・サイゴン」に出るまで、和製ミュージカルなんて全然興味沸かなかったですね。そもそも日本語の音そのものがミュージカルに向いていないと思ってましたから。でも本田美奈子の「ミス・サイゴン」でミュージカルの見方が変わりました。

mh_06

音楽ライブに劇と振りがついたと考えるべきなんですよ、日本のミュージカルの見方としては。だって実際彼女の歌う「命あげるよ」とかって、「ミス・サイゴン」がミュージカルとして求めているものをはるかに超越してますよ。

ミュージカル以外の音楽活動も充実していたのではないでしょうか。彼女らしい、難易度の高い良い曲に恵まれたと思います。「つばさ(作詞:岩谷時子、作曲:太田美知彦)」とか。


9.訃報。
ショックでした。朝霞のお通夜とお葬式、行こうかとも思いましたが、きっとファンは遠く離れた場所からのお焼香しか許されないんだろうなと。大切な思い出の最後にそんな悔しいエピソードを残したくなかったので、行くのやめました。

世の中の熱が冷めたころ、なんとかお墓をみつけて静かにお参りしようかな...そんな事を考えています。

冒頭にも書きましたが、本田美奈子とは同い年。彼女の誕生日は7月31日で、僕はその数日後。亡くなって1週間も過ぎればボクの方がどんどん年上になっていくんだ。

mh_05


10.笑顔がいちばん!
何かの形で喪に服そうかとも思いましたが、本田美奈子が残した詩を読んでやめました。周りが喪に服すことは、彼女の望むところではないでしょう。

こうゆうのブログなどを通して、彼女が本来生きるはずだった残りの人生含め、長く彼女の歌声の存在が長く笑顔で語り継がれ、聞かれること...そんな事を彼女を望んでいる気がします。

「笑顔」

子供も、大人も、おじいちゃんも、おばあちゃんも、
みんな、みんな 笑っている顔が素敵。
怒っている顔よりも、泣いている顔よりも、
困っている顔よりも 笑顔が一番!!
きっと笑顔が幸せ呼ぶと、頭では分かっていても、
心では、なかなか分からない人が、多いんじゃないのかナ!?

心が開いて、心の目で、周りを見渡してごらん、
きっと、小さな幸せの芽が、見つかるよ。
そして、そこから少しずつ、笑顔が生まれてくる。
笑顔が生まれ始めたら、喜びに変わるのも、もうすぐ。

でも、人は生きていて、辛い時、悲しい時、
涙が止まらず心が開けない時、
勿論、沢山あると思う。そんな時は、あせらないでね。
自分だけが不幸ではない。
もっと、心が暗闇に閉じ込められている人達も、
沢山いることを、少しだけ思い出してみて。

自分の力で、心を開く人もいれば、誰かの愛で、
心を開いてもらう人もいる。
気が付かないうちに心が開いて人もいれば、
歌や音楽で、心が開く人もいる。
それは、人それぞれだと思うの。

人は心が閉じたり、開いたり、いろいろな経験、
そして、沢山心で感じることによって

豊かな心を持ち、
豊かな笑顔を育てて行けるのではないのかナ!?と私は思います。
自分自身、豊かな笑顔が増えたら、きっと周りに居る人達にも、
幸せ届ける事が出来るでしょう。

笑顔がいちばん

2005.3.5
本田美奈子.

| | Comments (14) | TrackBack (0)